レッド・ツェッペリンとは...

活動期間1968.9-1980.9

世界で最も成功したロック・バンドの1つ。初期の名曲「Communication Breakdown」や「Whole Lotta Love」などのヒットによりハード・ロック・バンドとして高く評価される一方、ブルースやトラディショナルなど多様な音楽性を網羅しプログレッシヴな側面も持ち合わせ、幅広いファンを獲得した。

 1968年夏、The YardbirdsからフロントマンのKeith RelfとドラマーのJim McCartyが脱退を表明。残されたリード・ギターのJimmy PageとベースのChris Drejaはバンド存続を決め、メンバーの補充を画策。当初、シンガーに自身のバンドを率いて活動していたTerry Reidに加入を打診、ドラマーにはJoe Cockerのアルバム・セッションでPageが一緒になり高く評価していたProcol HarumのB.J. Wilsonや自身のブルース・バンドを率いていたAynsley Dunbarらをピックアップする。しかし、全米ツアーを前にしていたReidは加入を辞退。

 ただ、ReidからBand Of Joyというグループで歌っていたシンガーのRobert Plantを推薦される。オーディションの結果、すぐに採用が決まり、空席だったドラマーにはPlantが一緒にやっていた仲間のJohn Bonhamを紹介、まもなくBonhamの参加も決まる。しかし、今度はDrejaが写真家に転向するために離脱(デビュー・アルバム裏ジャケのバンド・フォトはDrejaが撮影)。Drejaの後任にはPageのセッション・ミュージシャン時代の知り合いでベースだけでなくキーボードも操り、アレンジャーとしても実績を重ねていたJohn Paul Jonesに白羽の矢を立てる。

 1968年9月、スカンジナビア公演でニューラインナップとして初ステージに立つ。この時点では残る契約などからNew Yardbirds名義での演奏だったが、Peter Grantのマネージメントの下、翌月には新たにLed Zeppelinの名前を使い始める。バンド名の由来は、1966年のJeff Beckのソロ・シングル録音にPageとJonesが参加した際、ドラムスを担当したThe WhoKeith Moonがよく口にしていた気分が乗らないことを意味するジョーク「lead balloon」(直訳すると”鉛の気球”)をもじったものと言われている。

Zep2 新たにAtlanticとの契約を獲得し、10月にはすぐにデビュー・アルバムのレコーディングが開始されている。年末からの米国ツアーで迫力のライブを展開、早くも大きな評価を得てその後リリースされたデビュー・アルバムは全米チャートで10位、英本国で6位のヒットと上々の船出を飾る。同年秋には早くもセカンド・アルバムを発表、英米で7週連続アルバム・チャートの首位にとどまるなど、デビューからわずか1年でその人気を不動のものとした。

 魅力的な楽曲や印象深いアレンジだけでなく、Plantの声量豊かなヴォーカル・スタイルや圧倒的なBonhamのドラミングなどがファンを魅了、後進の同じアーティストに与えた影響は計り知れない。1970年代を通して頂点に立ち続け、「Stairway To Heaven」「Immigrant Song」「Kashmir」など幾多のロック・クラシックを世に送り出した。1974年にはAtlanticとの契約切れに伴い、自身の新レーベルSwan Songを設立、The Pretty ThingsやBad Companyの作品をリリースした。

Zep1 ただ、1970年代後半はPlantの交通事故や愛息の死などの影響もあって特にライブ、レコーディングともに散発的となり、パンク・ムーブメントに伴う逆風も吹く。1979年には通算9作目、3年ぶりの新録音となるアルバム「In Through The Out Door」を発表。同年にはネブワースで復活コンサートを開催し、翌1980年にはヨーロッパ・ツアーを行うなど再び活動を活発化させたが、同年9月24日、Bonhamが飲酒後の就寝中に嘔吐物を喉に詰まらせて窒息する事故に遭遇し他界。新ドラマーを加えて活動継続が模索されるが、「Bonhamの代わりはいない」との結論から同年12月、解散が発表された。

 解散後、残った3人のメンバーはセッションやソロ活動に入った。1985年のライブ・エイドや1988年のアトランティック・レコード40周年イベントなどで3人が揃って演奏が行われており、後者はBonhamの息子Jason Bonhamがドラムスを担当して公式にLed Zeppelinの名前が使われた。1990年代にはPegeとPlantがユニットを結成してZep時代の曲を「解禁」。2007年12月にはロンドンのチャリティー・ライブでJasonを含めた一夜限りの再編が実現、後にCD化された。